響き

響き 巻頭説教 No.88 2019年12月22日発刊

最初で最後のクリスマス
ルカによる福音書二章二一~三八節
塚本一正牧師

「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。」
(ルカ福音書二章二一~二二節)

今年もクリスマスを迎えました。
クリスマスは神の子イエス・キリストが、私たち人間を救うために、私たちと同じ姿で、マリアの胎からこの世にお生まれくださった出来事です。
 冒頭の聖句は主イエスの生後八日目のことを記しています。「律法に定められた清めの期間」とは生後四十日間のことです。主イエスには、生後八日、生後四十日があったのです。
 生後八日、生後四十日。まだ本当に小さいいのちです。一日の大半を眠って過ごす乳飲み子です。抱く手にちょっと力を入れれば壊れてしまうほどのか弱さです。まだ自分では何もできません。全くの無防備で、食べることも飲むことも着ることも誰かにしてもらわなくてはなりません。
 この時の主イエスは、そのようなお姿だったのです。人間の幼子と全く同じように、両親の腕に抱かれておられました。このことは、それほどまでに神が私たち人間の近くに来てくださったことを示しています。幼子の小ささ、もろさ、無力さまでも主は引き受けて、私たちの近くに来てくださったのです。クリスマスとはこのような出来事です。
 この幼子イエスに出会って救われる二人の人が、ルカ福音書二章に登場します。シメオンという男性と、アンナという女性です。二人とも高齢者でした。この二人の年老いた男女こそが、救い主イエス・キリストによって最初に救われた人たちです。
 シメオンと主との出会いを福音書はこう記しています。「シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。『主よ、今こそあなたは、お言葉通り、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。』」アンナについてはこう記しています。「(幼子イエスに)近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。」二人とも幼子主イエスに神の救いを見て、喜びに満たされたのです。
 二人は、もうこのあと福音書に出てきません。高齢だった二人は、この時から間もなく亡くなったのではないかと思われます。しかしシメオンははっきりと言っていました。「主よ、今こそあなたは、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と。シメオンとアンナは、幼子主イエスによって神の救いにあずかり、人生の意味が満たされたのです。二人は、神に感謝と讃美をささげつつ、その生涯を終えたに違いないのです。二人にとっては、最初のクリスマスが最後のクリスマスとなりました。しかし二人は、クリスマスの救いに真実にあずかって、満たされて天に召されたのです。
 人は誰も皆、年老いて老人になります。老人も、幼子同様弱い存在です。年を取るにつれて力や能力が衰え、この世の地位や名声が遠ざかっていく悲しみがあります。しかしクリスマスにお生まれになった救い主は、まずそういう老人を訪ねてくださいました。それは主が、私たち一人一人と本当にどんな時にも共にいてくださるためです。主イエスはインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれるお方なのです(マタイ一章)。

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